ソ連機の翼型について(大戦前後)

2018/08/23 B-BS翼に追記
2017/10/15 全体的に修正

 ソ連機の翼型について雑に調べた結果をいくつかメモする。翼型は英語で”airfoil”, ロシア語で”профиль”, “профиль крыло”というようだ。また層流翼は例えば”крыло ламинатоного профиля”という表現が使われていた。


  • ソ連機に用いられた翼型

 航空機の翼型を調べる場合には、UIUC Applied Aerodynamics Group
The Incomplete Guide to Airfoil Usageが非常に利用しやすい。なんと現在でおよそ6400機の翼型がリスト化されており、多くのマイナーなソ連機についても(出所は不明ながら)カバーされている。
ただし、この表ではI-16の翼型がよく知られているクラークYHではなくTsAGI R-II-16%となっていたり、SBの翼型がTsAGI-6 modとしているが他サイトではTsAGI-40としているものもあったりするため、利用する際は他の情報と比較して確認を取りたい。
 この表を見る限りでは、戦闘機ではクラークYHやNACA系の翼型が多く用いられているが、爆撃機ではツアギ独自の翼型を使うことが多かったようだ。

  • ツアギの翼型

 それではツアギ独自の翼型とはどんなものか。これについてはA. N. ツポレフ名称カザン国際研究技術大学の配布資料に、ツアギの翼型のデータがある程度まとまった形で記載されている(http://kipla.kai.ru/liter.htmlの一番下)。翼型 “A”, “B”, TsAGI R-II, TsAGI-6 各シリーズ他いくつかの翼型について、迎え角に対する各係数の変化、その翼型が使用された機体が記載されている。(機体についてはほんの少しだけだが)

  • Pe-2の翼型に関して

 先の翼型リストには、Pe-2の翼型は記載されていない。検索すると、どうもB-BSという翼型が使用されていたようだ。
B-BSの詳細は不明だが、胴体側の翼型を"B", 翼端側を"BS"としたものと解説されているものが見つかった。

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2018/08/23 追記
書籍にB-BS翼についての記述があったので以下に要約する。
B-BS翼は「胴体側の翼型を"B", 翼端側を"BS"」としたもので、Pe-2の元となった高高度戦闘機”100” で採用された。これは高高度飛行を考慮したもので、高高度からのダイブの際に翼に発生するねじりモーメントを抑制し安定性を保つことができるが、一方で低高度にておいて得られる揚力が小さくなるため、機動性や離着陸性能に悪影響を及ぼすことになった。元々の高高度戦闘機であればこれらの欠点は許容されたが、機体の用途が変更されたことで問題となった。*1
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 B-BS翼に関しては、テストパイロットMark GallayのPe-2の翼型にまつわる回想がhttp://testpilot.ru/review/gallai/ithink/staruha.htmに掲載されている。それによるとPe-2に使用された翼型B-BSは、ツアギがUT-1Eを用いて実機試験をしたところ、着陸速度の増大など好ましくない結果が得られたがその報告はペトリヤコフに届かず、その問題点はPe-2にそのまま受け継がれてしまった、とある。またペトリヤコフの後任となったミシーシェフが翼型を少し変更するとそれらの問題は収まったという(Pe-2Iのことだろうか。そのうち調べたい)。
また、先のリストによるとSu-2も翼型"B"を使用しているため、併せてそちらも調べると何か知見が得られるかもしれない。

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2018/08/23 追記
先の書籍にてPe-2の翼型改良についての記述があったため以下に要約する。
主翼改修型の試験は1944年7月に行われている。試験機(14-226)は外翼の翼弦25%までをNACA-230(原文ママ。おそらくNACA5桁系列で、末尾2桁の翼厚比を省略しているのだろう)に変更、また翌幅と翼面積を増加させている。離着陸特性や失速速度が改善されたものの採用には至らなかったという。*2

また、Pe-2の各部を大幅に改修したPe-2Iでは、Centre section(原文ママ。内翼の前縁だろうか)の翼型をNACA23012として、後縁のB-BS翼と結合させているという。*3
このあたりの記述がはっきりとしないので、何かしらの裏付けを取りたい。

B-BS翼について検索していると、”B", "BS"の翼型が(出典は不明ながら)フォーラムにアップされていた。(http://scalemodels.ru/modules/forum/viewtopic_t_4171_start_200.html)
これを見る限り、"BS"の翼型は"B"と比べて前部が鋭く、わずかながら後部上面の反りが大きくなっているようだ。最大キャンバ位置は30~40%あたりだろうか。次図にNACA23012との比較を示す。

f:id:rapier2114:20180823231824p:plain
"翼型”B”, "BS", NACA23012の比較。それぞれ翼厚比12%だが、差が明確になるように縦方向に引き伸ばしている。

以上を見る限り、Pe-2の翼型改良として主翼前縁付近のみNACA23012に変更する方法は、前縁付近の厚みを増大させることで、抗力係数は増えるものの前縁からの気流の剥離(=失速)を遅らせることができるといえそうだ。(この辺りはある方のご指摘による。ありがとうございました。)
また、手を加える部分が翼の前縁付近だけで済むのであれば改修の規模を抑えることができるため、既に量産が軌道に乗っていたPe-2の改良案としては量産への影響を減らすという観点からすれば合理的ではないだろうか。結局のところ採用されなかったが。
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  • 層流翼

 http://www.rulit.me/books/aviacionnyj-sbornik-1991-01-02-read-308629-7.htmlではソ連の層流翼実験機についての記述がある。これによれば、ソ連では1939年にI.V.Ostoslavski と K.K.Fedyaevskiによって層流翼型が開発されており、1942年には実験用グライダー”LS”が製作され、飛行試験を行っている。1943年にはG.P.svischevが新たな層流翼型を開発し、1944年にはYak-7Bをもとに主翼を層流翼型に変更した実験機Yak-7Lで飛行試験を行っている。Yak-7Lは高度3600mで最高速度620km/hに達したが、翼の構造をYak-7Bと同じにしていたため層流翼の効果が十分に発揮されなかったとして、新たに開発した層流翼に適した主翼を装備した実験機La-7Lを製作している(あくまで主観だが、この主翼の平面形はP-51のものに似ている)。La-7Lでは風洞実験のみ行われ、主翼は試作戦闘機“120”に受け継がれたとある。おそらくその後 “126”に受け継がれ, そしてLa-9で量産されることになったのだろう。簡単に検索するとLa-9, La-11やYak-15などの戦後の直線翼戦闘機では層流翼が用いられていることがわかる。

 層流翼については他にもhttp://airfield.narod.ru/yak/ut-1/ut-1.html#16に1942年12月に層流翼を装備したUT-1を用いて実機試験が行われたことが記載されており、文林堂「世界の傑作機 No.156 第二次大戦ミグ戦闘機」では1943年ごろに製作されたI-220に層流翼が用いられたことが記載されている。

*1:Peter C Smith, "Petryakov Pe-2 Peshka", Crowood Press(2003) p.11

*2:Peter C Smith, "Petryakov Pe-2 Peshka", Crowood Press(2003) p.133

*3:Peter C Smith, "Petryakov Pe-2 Peshka", Crowood Press(2003) p.146