メモ:WWIIソ連の直協機について

数年前に、ソ連の直協機はどのようなものだったのか、ということがネットの片隅で話題になっていたので、調べられた範囲で関連項目をメモする。検索に使う単語を拾うくらいには使えるはず。

  ここでいう「直協機」とは、「数機単位で地上部隊に分散配備され、地上部隊と協力して短距離偵察や着弾観測を行う機体」と思ってもらえればよい。日本陸軍航空隊の九八式直協機がこのようなもので、ソ連における定義もそう変わらない。

例えば、1936年の赤軍野戦操典草稿(PU-36) 1章7項には以下のような記述がある。

«Войсковая авиация ведет разведку и наблюдение, корректирование артиллерийского огня и обеспечивает связь между штабами. Она должна также привлекаться к решению боевых задач.»
(訳:部隊航空隊は偵察と観測、砲兵射撃の弾着観測を行い、司令部間の連絡を提供する。部隊航空隊はまた、戦闘任務の達成にも参加すべきである。)


 「部隊飛行隊(Войсковая авиация)」は直協部隊を指す総称であり、陸軍の軍団、師団、(砲兵)連隊レベルの指揮下で行動するもののようだ。
 実際の部隊名としては、例えば1939-40年の冬戦争では、「部隊偵察飛行中隊(Войсковая авиаэскадрилья)」、「軍団航空分遣隊(КАO :Корпусный авиаотряд) 」が活動している。前者に関する情報はほとんど無いが、後者については、陸軍の軍団の指揮下にあり、更に師団や砲兵連隊に分散配備されたこともあったという。1941年の編制では「軍団航空中隊(корпусный авиаэскадрилья) 」の名が見つかる。しかしそれ以降は直協部隊らしき名称は消えて、独立観測航空中隊(OКАЭ)、独立観測・偵察航空中隊(OКРАЭ)、更に後には独立観測・偵察航空連隊(OKРАП)などの部隊が現れている。1942年の空軍改革は航空兵力の集中運用のために、それまで地上部隊の指揮下に分散していた航空部隊を航空軍に統合したものなので、もしかしたらその際に直協部隊も統合されているのかも知れない。詳細はわからないが。

 

 

 先の文では直協機ではなく直協部隊について述べたが、これには理由がある。大戦期のソ連では直協用に開発された専用の機体を使用していなかったからだ。そのため直協機というのも、直協部隊で使用された機体を指すことになる。

 

 戦前の直協部隊で使用されていた機体は、旧式で使い古された偵察機が中心だった。例えば1939-40年の冬戦争ではR-5とその派生型SSSが使用されているが、R-5の生産は1935年に終了していたし(SSSは1937年に終了)、いくつかの部隊では機種を更新する軽爆撃機隊や襲撃機部隊から中古機を譲り受けて使用していた。

 

 R-5の次に直協機として使用された偵察機R-10も似たような扱いで、部隊への配備は1938年の春から始まったが、直協部隊への配備は後回しにされ、例えば1939年1月1日の時点で直協部隊へは1機しか配備されていなかった。1939年には襲撃機への適性が疑問視され、軍偵察部隊と直協部隊へ移譲する決定がなされた。1939年のポーランド侵攻や1941独ソ戦初頭で直協機として活動しているが、1939年の9月には第135工場における生産が終了し、第292工場においても1940年の春には終了した。

 

 その次の直協機が選定されたのは、独ソ戦が始まり、前線の航空部隊が大打撃を受けたあと、1941年の8月だった。偵察機Su-2と戦闘機Yak-7の練習機型との比較審査が行われ、その結果、Su-2が直協機に向いていると判断された。ペイロードや後席の広さ、離着陸距離の短さ、そして後方機銃の存在が影響したという。直協機型も提案されたが、結局は生産されなかったとも、工場疎開前に第207工場でごく少数が生産されたとも言われている。

 Su-2の生産は1940年に始まり、直協機として選定された半年後、1942年2月に終了した。後継の直協機に更新され始めたのは1943年の半ばからで、少なくとも1944年まで使用されていたという。

 

 直協機としてのSu-2の後継を担ったのは襲撃機Il-2だった。Il-2が膨大な生産数を誇り、Su-2の実質的な後継機であったことを踏まえれば当然ではあるものの、選定の経過はそう単純ではない。初期のIl-2は後席の無い単座型だったからだ。そこで注目されたのが、当時生産されていた唯一の複座型である、練習機型のUIl-2だった。

 Su-2の生産終了から4ヶ月が経った1942年6月に、次期直協機を決めるための比較審査が要求された。対象になったのは練習機Yak-7VとUIl-2で、直協機への改修が容易なUIl-2に軍配が上がり、8月にはUIl-2をベースにした直協機の開発が要求された。

 しかしその要求に対して設計者イリューシンは、より強力なM-82空冷エンジンを搭載した複座型でなければ任務を全うできないと主張した。もっとも、M-82を搭載した複座型は一度は生産が計画されたものの、1942年4月には生産計画は白紙に戻っていた。すでにAM-38液冷エンジン搭載型が量産されており、またM-82エンジンをLaGG-3戦闘機の改良型に使用する方が急務だったからだ。それでもイリューシンはM-82搭載型をあきらめず、試作機の改良と量産への準備を進めたが、実現することは無かった。

 それと並行して従来のAM-38、そして出力のより大きなAM-38Fを搭載した複座型も開発されており、最終的に直協機型のベースになったのは、1943年1月から製造が始まっていた、AM-38Fエンジンを搭載した複座型のIl-2だった。直協機型のIl-2KRは1943年3月に初飛行し、4月には量産された。また、通常型のIl-2を現地改修したものもあり、通常型のIl-2を直協機として使う場合もあったという。

 Il-2KRと通常型の外見上の相違点はまずアンテナの位置で、通常より前よりの、前方風防枠に立てられている。それ以外の相違点は、後部機銃を取り払って巨大なAFA-3S型カメラを取付している場合はわかりやすいのだが、通常は胴体後部にAFA-I型カメラを搭載しているだけなので判別できない。ラジエータの両脇からAFA-3S型カメラを突き出したものや、下方視界を得られるように後席の風防側面を広げたものもあったようだ。それ以外の変更点は、無線機をRSI-4からより長距離交信が可能なRSB-3bisに変更しているほか、細かな変更点があるが、固定武装は通常型から変更されていない。

 

 以上で主要な機体をまとめたが、直協機として使用された機体を挙げるのであれば他にも多い。
 機体の不足していた独ソ戦序盤には単座戦闘機が使用されたこともあり、さらには複座に改修された戦闘機(I-15bisやハリケーンなど)や複葉機U-2, レンドリース機のO-52なども使用されていたという。また、ごく小規模だがA-7オートジャイロによる観測機部隊が編成されたこともあった。また、専用の直協機としてOKA-38やAKオートジャイロ、Su-12などの機材も開発されていたが、これらは結局のところ採用されていない。当然ながら海軍でも観測機を使用している。これらをすべてまとめるのは今の自分には無理なので、興味がある方は調べてほしい。


参考文献とFurther Reading
・『歴史群像シリーズ 日の丸の翼』学研(2013)
九九式直協機の任務がわかりやすく解説されている。九九式軍偵の解説とあわせて、ソ連偵察機を調べる前に読んでおくと偵察任務へのイメージをつかみやすい。

ソ連の直協機(観測機)全般については、以下の書籍がある。
・Александр Широкорад “Боги войны. «Артиллеристы, Сталин дал приказ!»”, Алгоритм (2015)
ネットで検索している限り、第二次大戦期におけるソ連の観測機を扱ったものとしては、どうも雑誌”Авиация и космонавтика” 2015年3月号、4月号に掲載された”Артиллерийские эскадрильи в бою (Самолеты-корректировщики в годы Великой Отечественной войны)”という記事が詳しいようだ。彼の著書”Боги войны. «Артиллеристы, Сталин дал приказ!»”の8章には、観測機として使用された機体を扱っている。

・Николай Якубович ”ВСЕ САМОЛЕТЫ-РАЗВЕДЧИКИ СССР «ГЛАЗА» АРМИИ И ФЛОТА” Яуза (2016)
ソ連偵察機全般を扱った本だが、直協機として使用された機体も解説されている。


それぞれの機体については、それぞれの機体を扱った書籍の方が詳しい。
・Д.Б. Хазанов “Су-2 принимает бой. Чудо-оружие или «самолет-шакал»?”(2010)
・O.растренин”Штурмовик Ил-2” (2020)
また、R-10に関しては雑誌«МОДЕЛИСТ-КОНСТРУКТОР»の付録冊子«Авиаколлекция»2018年第7号で扱われている。

冬戦争における各ソ連飛行隊の活動については以下が詳しい。
・Carl-Fredrick Geust “Red wings in winter war 1939-40” MMPBooks (2020)

117-й OКРАПに所属していたパイロットへのインタビュー記事を以下で読むことができる。
https://iremember.ru/memoirs/letchiki-shturmoviki/minenkov-konstantin-ivanovich/


余裕があれば追記したい。そんな余裕はないと思うけど。