メモ:WWIIソ連空軍戦闘部隊の編制について

(2023-02-06 全体的に修正、追記)

戦記を読む際に編制に関する知識があった方が理解しやすいのだけど、意外とWWII時代のソ連空軍の編制を日本語で解説したものが少ないので、ここで簡単にまとめてみたい…と思ってたけどまとまりそうにないので作成途中で投稿する。記憶に頼って適当書いてるので注意。元気があるときに追記できたらいいんだけど。

 

まずは大まかな区分について。

独ソ戦開戦時の1941年の編成に簡単に触れた文などでは、「総司令部航空部隊」「軍管区航空部隊」「軍航空部隊」「軍団航空部隊」など似たような名前だけが並べられていて、それぞれがどういった存在なのかイメージしづらい。それに対して大まかなイメージを提供するのが本メモの目的になる。


 そのためにはまず、各航空部隊の役割を見ていくのが良いと思う。そこで参考になるのが、1926年にソ連の空軍理論家のLapchinskiiが提唱した航空作戦の分類である「独立」、「個別」、「奉仕」の分類だ。

 

 「独立」は戦場に間接的影響しか与えない、工場への爆撃や航空優勢を得るための作戦を指す。「個別」は戦場に直接的な影響を与えるが、前線の戦闘部隊に所属しない(実際は軍管区・方面軍や軍の指揮下には入るのだが)航空部隊による作戦を指し、航空阻止や近接航空支援はここに含まれる。「奉仕」は陸軍を直接支援する活動を指し、偵察や弾着観測、通信が含まれる。上記の分類は、細かな定義や用語自体の変化はあるものの、1920-30年代には標準的に使用されているという。 もっとも、 「独立」は「戦略」に、「個別」は「戦術」に、「奉仕」は「直協」と言い換えた方が馴染みがあるかもしれない。

 

 そしてこれらは、実際のソ連空軍の組織とも対応しているようだ。

 「独立」任務を担うのは長距離爆撃機部隊であり、基本的に最高司令部の指揮下で活動するもので、「特務(航空)軍(AON : 1936-1940)」「総司令部長距離爆撃機部隊(DBA GK : 1940-1942)」「長距離航空軍(ADD : 1942-1944)」「第18航空軍(18 VA : 1944-1946)」などと何度も組織と名称を変えつつ存在し続けている。1941年の開戦前には空軍の13.5%を占めている。もっとも独立作戦を行うだけではなく、攻勢正面に投入される強力な予備部隊でもあり、実際の運用では地上部隊への航空支援を多く行っている。


 一方、「個別」任務を担うのは、戦前では軍管区(方面軍)航空隊と軍航空隊であり、これらの作戦上の指揮権はそれぞれ軍管区または方面軍と、軍(編制単位としての「軍」)にある。軍管区というのは国土を幾つかの区域に分割して、それぞれに半自律的な地上部隊を配置したもので、戦場になると軍管区を基に方面軍(戦線)が創設される。軍管区(方面軍)航空隊は軍管区(方面軍)の指揮下で活動する。また、軍管区または方面軍は数個の軍を擁しており、軍航空隊はその指揮下で行動する。ソ連空軍の中心となるのがこれらの部隊であり、1941年の開戦前の時点で軍管区航空隊は空軍の40.5%、軍航空隊は43.7%を占めている。


 これら軍管区航空隊、軍航空隊の体制の下で、航空部隊は地上部隊と密接な連携をとることができるようになっていたが、一方で戦力は前線部隊に分散し、戦力の移動や集中運用を妨げていた。複数の戦線を跨ぐほど大規模な独ソ戦が始まるとこの欠点が顕著になったため、1942年の空軍改革以降は、軍管区航空隊と軍航空隊をまとめて、より柔軟な戦力の移動を可能にする、航空軍(VA)に改編されている。

 

 航空軍はいわば航空部隊の「入れ物」であり、独空軍の「航空艦隊」に相当するもので、複数個の飛行師団や飛行連隊、後には飛行軍団を指揮下に含む。1942年5月以降、合計で18の航空軍が創設された。航空軍は各戦線に最低1つ配置され、必要に応じて最高司令部予備や、他の航空軍により増強される。作戦上の指揮権は戦線の司令官にあり、航空軍の司令は戦線司令官を補佐する。規模は時期によって大きく異なり、1942年の発足当初は保有機が200機程度だったものが、1945年には2000-2500機にまで拡大していた。

 

 そして、最後の「奉仕」任務を担うのが軍団航空部隊で、「部隊航空隊(Войсковая авиация) 」とも呼ばれる。具体的な名称としては、1941年の編制では「軍団航空中隊」の名が見つかる。 文字通り、編制単位としての「軍」の下にある「軍団」の指揮下で行動し、場合によっては更にその下の師団、(砲兵)連隊に分派されることもある。総数が小さいこともあるためかあまり注目されることがなく、編制の移り変わりを追うのが難しい。空軍について語る際にはほとんど無視してよいかもしれない。1941年時点で空軍の2.3%に過ぎない。

 1942年以降は直協部隊らしき名称は消えて、独立観測航空中隊(OKAE)、独立観測・偵察航空中隊(OKRAE)、更に後には独立観測・偵察航空連隊(OKRAP)などの部隊が現れている。

 

 


・編制単位について

 飛行軍団(AK)-飛行師団(AD)-飛行連隊(AP)-飛行中隊(AE)が基本的な編成で、大戦中を通じてこれらの名称が変わることはない。ただ、定数と隷下部隊の数が時期により大きく異なる。以下では1941年の開戦時の状況を中心に扱う。


 飛行軍団は最上位の編成単位なのだが、1941年時点では長距離爆撃機部隊と、モスクワ、レニングラードの防空戦闘機部隊にしか存在していない。これらは2-3個飛行師団で構成されていた。

 

 飛行師団は3-5個の飛行連隊から構成され、更に飛行連隊は4個の飛行中隊から構成される。飛行中隊の定数は、戦闘機、襲撃機中隊では15機、爆撃機中隊では12機であり、それぞれの飛行連隊は60機程度を保有していた(重爆撃機連隊では40機)。ただし独ソ線が始まると大きな組織は扱いづらいとされて、飛行軍団は姿を消していったし、飛行師団、飛行連隊を構成する下部組織の数や中隊の定数も減らされていった。1941年8月20日には新鋭機を使用する連隊の定数を20機(9機中隊x2, 予備2機)とする指示が出ている。当然ながら、その後空軍の戦力が回復するとともに飛行軍団は復活し、下位組織の規模や、中隊の定数も拡大していく。

 

 他にも飛行集団(AG)や飛行旅団(ABr)も存在するが、これらは一時的な編成や、予備部隊であったりするのであまり表には出てこない。例えば1941-42年の「予備飛行集団」「打撃飛行集団」など。

 

・訳語について

1) 航空?飛行?

伝統的な翻訳では、「Авиационный」は「飛行」という訳があてられている。例えば「飛行師団」「飛行連隊」など。語感からすれば「航空師団」「航空連隊」と訳したくなるが、「航空軍」(Воздушная Армия)の定訳は「航空軍」だし、1942年7月に一瞬だけ編成された「飛行軍」(Авиационная Армия)との混同に注意が必要になる。

 

「飛行軍」(Авиационная Армия)は強力な予備部隊として適切な組織を模索する上で生まれたもので、計画上は3-5個飛行師団の200-300機で構成されるものだった。ただし実際に編成され戦闘に参加したのはほとんど第1戦闘機飛行軍(1 IA)だけで、運用してみると非常に扱いづらかったうえに航空軍と並列して運用することが困難だったため、7月中に解散している。残る2個飛行軍(2 IA, 1 BA)も同じ運命をたどったという。

 

2) 中隊?大隊?

「飛行中隊」(Авиационная Эскадрилья)は辞書的には「飛行大隊」となっているようなのだけど、このあたりは訳者によって異なっている。伝統的には「大隊」の方が使用されているようではあるけど、定数9機で大隊というのも変な気もする(それで良いのかも知れないが)。 「Эскадрилья」以前の「Oтряд」編成の訳や、編成の歴史的経緯をまとめて誰かうまく訳してくれないかな。

 

 

・主要参考文献
1) Yefim Gordon “The Soviet Air Power in World War 2” Midland (2008)
   1941年の構成について。ただし「航空軍」と「飛行軍」を混同している。

2) Robin Higham, “Russian Aviation and Air Power in the Twenties Century” Franc Kass (1998)
   「航空軍」について。ただし内容は総論的で、記述は薄い。

3) James Sterrett, “Soviet Air Force Theory 1918-1945” Routledge (2007) 
 Lapchinskiiの論について。ただし、実際の編制との関連は明確ではない。