メモ:ソ連の液冷双発機のラジエータ配置について
- 液冷エンジンのラジエータについて
http://contrails.free.fr/engine_aerodyn_radia_en.php
液冷エンジンのラジエータの原理と構造について、簡潔にまとめられたページを見つけたのでメモしておく。キットプレーンを扱っている方が作製されたページのようだ。
airwar.ruを眺めていて気付いたことをメモする。現状で言えることは、1930年代中頃に始まった搭載位置の試行錯誤が、1940年代に入って最終的に主翼内部に搭載するように落ち着いたようだ、という感じだろうか。折に触れて充実させていきたい。なお、機体名の後の()内は基本的に初飛行の年度としている。
・TB-1 (1925)
1925年に初飛行したTB-1ではエンジンの前面にラジエータが搭載されており、ラジエータに流入した空気はエンジンの周囲を通り、エンジンナセル上後方から主翼上面に排出される。同時代のJunkers K.24やそれ以前のJunkers F.13と似たようなものに見えるが、ただしTB-1ではラジエータを通過した空気を主翼上面に排出する点が異なっている。後のSB 2M100のラジエータ配置と似通っていることにも注目したい。
面白いのはラジエータを通過した空気がその後方のエンジンを通った後、流路内に設置された潤滑油タンクをそのまま冷やす構造になっている点だ。潤滑油用の冷却器はないという。(http://airwar.ru/enc/bww1/tb1.htmlに付録の図に記載あり)
・Tupolev R-6 (1929) / ANT-21 (1933) / ANT-29 (1935)
上記の3機ではエンジン下部にラジエータが搭載されており、ラジエータの前方にはシャッターが設置されている。この方式はTB-3やANT-20などいくつかの機体に採用されており、一時のスタンダードになっていたように思える。
なおR-6の原型機では当初、引き込み式のラジエータを内翼に搭載していたが、その後エンジン下部に変更している。またR-6では翼内にラジエータを搭載する実験も行われている。この実験は1935年にミシーシェフの率いるチームにより行われたもので、5km/hの増速が得られたという。*1ただしこのときのラジエータの排気は主翼の下面に向けられている点が特異だ。(後に普及する翼内搭載方式では通常、主翼上面に排気する)
(2020-07-04追記)改めて読み返すと本文では下向き排気と書いてあるが写真を見ると主翼上面に排気口があるように見える。どっちだ。
・Tupolev SB 2M-100 (1934)
SB 2M-100からSB 2M-103のSeries201までの機体ではエンジンの前面にシャッターと環状のラジエータが配置されている。空気はシャッターを通過してラジエータに流入し、エンジンの周囲を通って主翼上面へと抜けていく。大まかな配置はTB-1とほぼ同じのようだ。ラジエータの形状は環状というより楕円型で、中心が六角形状に切りかかれており、あまりコンパクトではない。(http://aviadejavu.ru/Site/Crafts/Craft20003-5.htm#picsに写真がある)
また写真では確認できていないが、潤滑油タンクの位置もTB-1と同様のようだ。(https://modelist-konstruktor.com/aviacziya/ispanskij-bombardirovshhik-tupolevaの図内116番)
・Tupolev ANT-41 (1936)
ANT-41は外見こそSBによく似ているものの、ラジエータは主翼内部に搭載されている。これは後に見るように1940年代に入ってスタンダードになる搭載方法で、この時点で先進的なものだ。インテークは主翼前縁の下側に寄っている。
Airwar.ru(http://www.airwar.ru/enc/sww2/ant41.html) には、この配置を取った機体はANT-41が初で あることと、R-6でこの配置が試験されたことが記載されている。
・Tupolev SB-bis3 (1937), SB-2M103 series 201 (1939)
エンジンナセルの形状を変更しエンジン下部にラジエータを設置したSB-bis3が1937年から1938年にかけて試験されており、1939年後半のSB-2M103 series 201から生産型に反映されている。
・Polikarpov VIT-1 (1937), VIT-2 (1938), SPB (1940)
VIT-1は主翼下面に引込式ラジエータ搭載しており、これはサーモスタットを用いて自動的に引込量を調整するものだという。(http://airwar.ru/enc/aww2/vit1.html)
VIT-2については後に改修されたと書かれているが(http://www.airwar.ru/enc/bww2/spb.html)、詳細は分からない。
一方SPBでは、ラジエータはエンジンの後方に配置し、エンジンナセル側面に設けられたインテークから吸気するものになっている。いくつかの三面図ではPe-2のように翼内にラジエータが設置されているように書かれているが、それに対応する記述は見つけられていない。
・Yakovlev Yak-2 (1939), Yak-4 (1940)
Yak-2, Yak-4もSPBと同様の、エンジンナセル側面のインテークからナセル後方に配置されたラジエータに給気する配置をとっている。オイルクーラのインテーク位置はそれぞれで異なり、Yak-2ではエンジンナセル側面のラジエータのインテーク前の前に取り付けられていたが、Yak-4ではエンジン下面に移動している。
Yak-4については(http://www.airpages.ru/dc/yak4_1.shtml) に写真・解説がある。
・MiG DIS (1941)
Yak-4と同様にエンジンナセル側面にインテークがあり、これがナセル後方のラジエータに給気している。オイルクーラ用のインテークは外翼に設けられているとのことだが*2、主翼前縁と主翼下面の2つのインテークが設けられているようで、そのどちらがオイルクーラなのか、またもう一方が何に給気されるのかはわからなかった。
・Polikarpov TIS (A) (1941), TIS (MA) (1943)
Yak-4と同様に、TIS(A)ではエンジンナセル側面にラジエータのインテークがあり、オイルクーラのインテークはエンジンナセル下面にある。
一方、後に再製作されたTIS(MA)では、主翼前縁のインテークから主翼内部のラジエータに空気を供給する方式に変更されているYefim Gordon, “Soviet Combat Aircraft of the Second World War” p.36。排気は主翼下面に放出される点に注意。
・Pe-2 (1939), ANT-58 (1941), DVB-102 (1942), SDB (1944), Tu-10 (1945)
上記の機体では、主翼前縁に設けられた複数の楕円形インテークから主翼内部の
ラジエータの個数(=インテークの個数)はエンジンの出力に合わせて増加しており、一種のモジュール化がなされているように見える。
・Ar-2 (1940), Yer-2 (1940), SBB (1940), Il-6(1943)
前述のPe-2等とは異なり、これらの機体では主翼前縁に横長のインテークを配置している。ラジエータの詳細まではわからないが、排気口まで同様に横長になっている。
以上をまとめると以下のようになる。
- エンジン前面
TB-1 (1925), SB 2M-100 (1934)
*単発機だがMBR-2も同様
- エンジン下部
R-6 (1929) / ANT-21 (1933) / ANT-29 (1935), SB 2M-103(Series201以降/1939)
*TB-3やPe-8も同様、ANT-22やANT-25ではエンジン上部に配置しているが実質同じ
- 主翼下面(引込式)
R-6 (原型機/1929), VIT-1 (1937)
- エンジンナセル後方
SPB (1940), TIS (A) (1941), Yak-2 (1939), Yak-4 (1940), MiG DIS (1941)
- 主翼内部
R-6 (実験機/1935), ANT-41 (1936), Pe-2 (1939), Ar-2 (1940), Yer-2 (1940), SBB (1940), ANT-58 (1941), DVB-102 (1942), Il-6 (1943), TIS (MA) (1943), SDB (1944) , Tu-10 (1945)
以下、今後のためのメモ
・そもそも原理的なことと、それぞれの搭載方法の得失について
・ラジエータ位置の図示
・単発機のラジエータ搭載位置について
(単発液冷機の方が資料が充実しているし、Il-2やIl-10, Su-1,-3は凝ったことをしているので調べれば面白いはず)
・それぞれの冷却システムの詳細(マニュアル等)
・翼内ラジエータにより犠牲になるスペースについて(ラジエータの移動に伴って燃料タンクが増減する事例(Tu-2)や、桁との干渉はどのように処理しているのかなど)