【書評】『モスクワ上空の戦い ―知られざる首都航空戦1941~1942年― 防衛編』, ドミートリィ・ハザーノフ

2017/10/15 細部修正。

ドミートリィ・ハザーノフ『モスクワ上空の戦い』, 大日本絵画, 2002

  • この本について

 Дмитрий Хазанов "Неизвестная битва в небе Москвы 1941-1942 гг. Оборонительный период" Техника – молодежи, 1999 を邦訳したもの。「防衛編」に対して「反撃編」も出版されており、そちらは "Неизвестная битва в небе Москвы 1941-1942 гг. Контрнаступление" として2001年に出版されているが、邦訳はされていない。

 
 著者名で調べてみると、名前の表記ブレがあって面倒だが、日本語では大日本絵画から本書のほかに「クルスク航空戦」(上下巻)が、英語ではOsprey Publishingから “La-5/7 vs Fw190 : Eastern Front”(2012), ”MiG-3 Aces of World War 2”(2012), “Pe-2 Guards Units of World War 2”(2013), Bf109E/F vs Yak-1/7 : Eastern front”(2015), それに他の出版社から「クルスク航空戦」の英訳 ”Air Wars Over Krusk”(2010), ドイツ人がソビエト・ロシアの航空に影響を与えた影響に関する ”The German imprint on the history of Russian aviation”(2001), Yerfim Gordonと共著の ”Yakovrev Piston Engine Fighters”(2012) が出版されているようだ。
 ロシアでは先に挙げたものの原書に加えてOsprey Publishingから出版した本とおそらく同様の内容の本がいくつか、それに加えてMiG-3, Su-2, Er-2, Ju87, Bf109のモノグラフ、東部戦線のBf109エースについての本、そして1941年の航空戦に関する ”1941.Война в воздухе. Горькие уроки”(2006)「1941. 空の戦い 苦い教訓」, ”Битва за небо. 1941. От Днепра до Финского залива”(2007)「空の戦い 1941 ドニエプルからフィンランド湾まで」, “1941. Борьба за господство в воздухе”(2008)「1941. 空の優勢のための努力」, の3つの著作が同じ出版社から出版されている。紹介文からすると恐らく同じような内容なのだろうが、いまいち関係はわからない。

  • 内容について

 本書は2部構成の前篇なので、題名に反して本書で扱う期間は1941年初頭から同年12月の間である。数多くの資料を用いて戦いの各側面を描写し、指令による制度の変更や戦力の推移と比較、エピソードの紹介、それぞれの戦闘の経過と双方の損失の検証が本文にならぶ。通説の批判にも積極的だ。

 内容は大きく2つに分けることができる。開戦前からのモスクワ防空体制の構築とそれに対する7~8月にかけてのドイツ軍のモスクワ空襲、そしてその後の「タイフーン」作戦に伴うモスクワ近郊での航空戦だ。前半のモスクワ空襲では、防空体制を甘く見るドイツ軍に対し阻塞気球、高射砲、「夜間戦闘機*1で奮闘する様子が描かれている。防空体制は構築されていたものの運用の面で結構な問題があり、それを示すエピソードが非常に多い。

 一方、後半では首都に迫るドイツ軍に激しい損耗を重ねながら抵抗するソ連空軍の姿が描写される。

しばしばソ連の回顧文学には、「敵はいかなる犠牲もいとわずモスクワに突進してきた」といったくだりを目にする。より正確には、ソ連軍司令部が、性急に準備された反撃や事前の偵察もない統一性を欠いた攻撃など、あらゆる手段を使ってやみくもに敵の進撃を食い止めようとしたのであった。このような行動はやむをえなかったとはいえ、多大な損害を出した。自らの命を代償に歩兵や砲兵、飛行士……が首都につながる道を塞いでいたのであった。

p.130より

 地上部隊との連携が取れず散漫な攻撃になってしまい、連携によって攻勢の正面に航空戦力を集中できるドイツ軍に押されつつも、あらゆる爆撃機だけでなく戦闘機すらロケット弾を装備して爆撃機の護衛をしつつ対地攻撃を行う、貧弱な装備の飛行機で1km先も見えないような悪天候の中でも飛び立つなど、文字通りの必死な抵抗によって相手に出血を強要することでようやく進撃を止めることができた、という感じだろうか。なりふり構わない反撃とそれに伴う消耗が資料によっていくつも示される。パウル・カレルが描写したようなソ連の整備された飛行場は存在せず、悪天候はドイツ空軍だけでなくソ連空軍にも影響を与えていたが、ドイツ軍が消耗し、また戦力を分散するのに対しソ連空軍がモスクワに戦力を集中したことで出撃数に差が出たようだ。本書は防衛編であるため、ドイツの攻勢が止まり、ソ連の反撃の兆しが表れたところで終わっている。


 非常に多くの事実と検証が所狭しと詰め込まれており、十分に理解して参照できるようになるまで時間がかかりそうだ。それだけ多くの事実やエピソードを知ることができることを示している。ただ一方、悪く言えば内容が雑然と詰め込まれているように感じてしまう。これは章立ての問題かもしれない。
 とはいえ、1941年の独ソ戦で行われた空の戦いについて知りたい方には非常にお勧めしたい。出版から10年以上経っているのだから続編を期待するのは厳しいかもしれないけど……これだけのものはおそらく英語でも読めないのだから。


  • 付録について

 付録として当事者の短い回想、損失データ、当時の状況を示す秘密文書のコピーとその訳が巻末に載せられている。本文中で触れられる状況を理解する助けになってくれる。

    • 1941年7月にモスクワ軍管区の“平穏な”第11および第16戦闘機連隊で起きた航空機事故・故障
    • 第1重爆撃機連隊所属でトゥーポレフTB-3爆撃機操縦手であったソ連邦英雄M・T・ラノヴェンコ中尉の1941年9月当時の回想
    • 第52戦闘航空団の機関士からパイロットとなったK・ヴァルムボルト軍曹が回顧するモスクワ近郊での10月の戦闘
    • 極秘文書「防空体制改善に関する提案」
    • 秘密文書「赤軍航空隊宛て指令 第1号 防空軍モスクワ圏特別警護地区における飛行体勢について(昼間)」
    • 夜間戦闘機の問題点に関する秘密文書
    • 第28爆撃航空団第I飛行中隊第2, 3中隊の損害(1941年7月22日~12月31日)
    • 1941年11月13日付け、第2航空軍団司令官ブルーノ・レールツァー空軍大将のルフトヴァッフェ参謀本部宛て報告書より
    • 秘密文書「赤軍航空隊宛て指令 第012号」(同第1号の実施に関して)

*1:詳細は述べられていないが、いわゆる夜間戦闘機よりも昼間戦闘機に近いだろう。十分な装備はなかったことが示されている。中には探照灯を翼下に装備したSBとPe-2もあったとか。