メモ:ソ連の液冷単発機のラジエータ配置について

2019/11/10 ITP、雑感を追加、その他修正

 

  

以前、双発機についてメモしたので、そのついでに単発機についても手軽に調べられる範囲で調べてメモしておく。網羅的なものではないが、ある程度の時代ごとの傾向は見えるようになったと思う。なお、機体名の後の()内は注記がない限り初飛行の年度を記載している。

 

・Polikarpov R-1 (Airco DH. 9A / 1918), Tupolev R-3 (1925)

 エンジン前面にシャッター付きのラジエータを配置している。

 ただし、R-3のM-5エンジン搭載型ではLamblinの”Lobster Pot”と呼ばれる円筒形のラジエータを機首左右に配置している。

 

・Grigorovich I-2 (1924)

 I-2では機体下部に板状のラジエータが取り付けられており、これは後方に折りたたむことができる。

 

・Polikarpov I-3 (1928), R-5 (1928), R-Z (1935)

 機体下部に板状のラジエータを搭載しているが、こちらは垂直上方に引き込む。ラジエータの位置はI-3では主脚の後方に、R-5では主脚の前方、R-5の発展型R-Zでは主脚の後方にある。

 

・I-7 (Heinkel HD 37 / 1928)

 Heinkel HD 37は1934年にソ連国内で生産され、I-7として採用された。ラジエータの位置は機首下面。

 

・Tupolev I-8 (1930)

 あまり情報が残っていない機体のため実際はわからないが、側面からの写真を見ると、機首下にオイルクーラ、機体下部にラジエータを搭載しているようにも見える。

 

・Vartini Stal-6 (1933), Stal-8 (-)

 イタリア人技術者Vartiniによる試作戦闘機Stal-6, Stal-8では蒸気翼面冷却が採用されている。ラジエータの位置は主翼前縁で、それ以外の補助的な冷却器は無いようだ。オイルクーラは右主翼付け根の下面にある。なお、Stal-8は完成前に計画が破棄されている。

 

・Polikarpov I-17 (TsKB-15 / 1934, TsKB-19 / 1935, TsKB-33 / ??)

 TsKB-15では胴体下に1つの引込式冷却器を搭載している。改良型のTsKB-19では計2個の引込式冷却器を内翼の下に搭載する方式に変更されている。

派生型のTsKB-33では蒸気翼面冷却が試みられたと語られているが、詳細はわからない。

(https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/I-17/index.html)が参考になる。

 

・Ilyshin I-21 / TsKB-32 (1936)

 試作1号機は蒸気翼面冷却方式を、試作2号機はエチレングリコールを用いた引き込み式の冷却器をそれぞれ搭載しているという。

 

・LaGG-3 (1940)

 LaGG-3では機種の顎下にオイルクーラを、胴体の下にラジエータを搭載している。ラジエータは拡散式のダクトを採用して機体に深く埋め込まれており、インテークの下面は曲線状に切り欠かれているなど、曲面が多用されたかなり凝った形状をしている。主翼付け根左右の穴はスーパーチャージャー用のインテーク。以上のどれも改良されるに従い若干形状が変更されている。そのあたりについては以下のページが詳しい。(https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/lagg3/profiles.htm)

 

・Gorbunov I-105 (1943)

 ゴルブノフによるLaGG-3の改良型、I-105はオイルクーラをエンジン下から移設している。オイルクーラは2個に分割されてコクピットの下側方にあり、それぞれのインテークは胴体下のラジエータの斜め前方に左右一つずつ設けられている。排気は機体側面の排気口から出ていくという。凝ったことをしているが、意図や効果のほどはわからない。なお、1944年に行われた試作2号機の試験飛行では冷却水と潤滑油の過熱により3-4分程度しか最高速度を維持できなかったという。

(https://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/lagg3/105/105.html)に解説がある。

 一方、Yefim Gordon “Lavochikin’s Piston Engined Fighters”(2003) p.33ではオイルクーラのインテークは主翼の付け根に移されたと書かれているが、機体下部のインテークには触れられていない。先のページの解説の方が正しいように思う。

 

・MiG-3 (1940)

 ラジエータはLaGG同様に機体下部に半ば埋め込まれた形で設置されているが、インテークはLaGGよりも幾分単純な矩形状だ。オイルクーラはエンジンの左右側面にある。原型のI-200の試作1号機では当初エンジン左側のみとしていたが、試作2号機では左右に取り付けるように変更されている。また、オイルクーラのフラップも入口側から出口側に変更されている。またオイルクーラはエンジン左右でインテークの形状が微妙に異なる。上記については『世界の傑作機 第二次大戦ミグ戦闘機』p.18で写真付きで解説されているのでそちらを参照するとよい。主翼付け根のインテークは過給機用のもの。

 

・MiG I-230 (1943) / I-231 (1943)

 MiG-3と比べて、ラジエータ(型式:OP-310)は操縦席の下に移動し、インテークは主翼前縁に設けられている。排気は主翼下面に向けられている。過給機のインテークはラジエータのインテークに併設されている。オイルクーラ(type 533)は胴体の下に設置されている。(http://airwar.ru/enc/fww2/mig3u.htmlより)

 

 Yefim Gordon “Mikoyan’s Piston Engined Fighters” p.63ではラジエータが胴体下面にありインテークをオイルクーラとも兼用、主翼付け根のインテークは過給機用としているが、胴体下面のインテークが非常に小さいことを考えると納得しがたい。

 

 なお、試作2号機では胴体下と主翼付け根のインテークがどちらも拡大されている。(Yefim Gordon “Mikoyan’s Piston Engined Fighters” p.68)

 AM-39Aエンジンを搭載したI-231ではエンジン出力の増加にあわせてラジエータの面積を増加させ、その中に過給機用のインタークーラを併設している。(http://airwar.ru/enc/fww2/i231.html)

 

・MiG I-220 (1943)

 I-220ではラジエータ、オイルクーラ、過給機のインテークを全て主翼前縁に設けている。ラジエータのインテークは一番外側にあり、ラジエータ主翼の主桁後方に置かれている。ラジエータの排気は主翼上面。*1 写真を見ると主翼付け根のインテークは左右で形状が異なっており、右翼側は横に長いが、左翼側は写真によって異なり、右翼側の半分ほどの横幅のものと、右翼側と同等のものを2分割しているものがある。途中で改修しているのだと思うが、詳細はわからなかった。

 

 I-221については写真が残っていないが、http://airwar.ru/enc/fww2/i221.htmlに側面図が掲載されている。機体下面に冷却器らしきものが書かれており、恐らくターボ過給機用のものだろう。

 

・I-222 (1944) / I-224 (1945)

 I-222では機体下部にインタークーラ用の冷却器が胴体下から突出する形で設置されている。それ以前の液冷式のものから空気-空気式のものに変更されているという。

 I-224では機体下部のインタークーラ用インテークの形状が丸みを帯びたものに変更されており、またラジエータの排気口が主翼上面に突出している。(Yefim Gordon “Mikoyan’s Piston Engined Fighters” pp.85-91)

 

-----(2019/11/10追記)-----

・Polikarpov ITP (1942)

 ITPは機首下面にオイルクーラを配置し、主翼内部にラジエータを搭載している。ラジエータのインテークは主翼前縁にあり、ダクトを通ってラジエータで熱交換された空気は主翼上面に排気される。インテークとラジエータの間には脚庫があるが、深さが必要なタイヤ収納部をさけて、またダクトをわずかに湾曲させることで脚庫の上を通過させているようだ。(http://xn--80aafy5bs.xn--p1ai/aviamuseum/aviatsiya/sssr/istrebiteli-2/1940-e-1950-e-gody/istrebiteli-kb-polikarpova/istrebitel-s-tyazheloj-pushkoj-itp/)に断面図がある。

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・Yak-1, Yak-7, Yak-9, Yak-3 (1940-)

 機体下部にラジエータを搭載している点は共通している。Yak-1, Yak-7と -9U以前ではの機首下面にオイルクーラを搭載している。Yak-3とYak-9U以降ではオイルクーラは胴体内部に移動し、主翼付け根の2つに区切られた外側をインテークとしている。内側は過給機用のものだ。オイルクーラの排気口は機体下面、ラジエータインテークの斜め前に設置されている。

 ラジエータとオイルクーラの形状は試作機でも生産中でも何度も修正されている。その中では、Yak-1のオイルクーラのインテークの形状は入り口がどんどん絞られる方向に変化しており面白い。Yak-1Mでは非常に小さくなっている。この辺りは『世界の傑作機 WWIIヤコブレフ戦闘機』に詳しい。

 

・I-30 (1941)

 1号機ではYak-1と同様だが、2号機ではオイルクーラを翼内に移動し、主翼前縁にインテークを設けている。ただし、その後Yak-1と同様の配置に戻されたようだ。(世傑Yak p.39)

 

・Il-2 (1939) / Il-10 (1944)

 Il-2では防弾のためにラジエータをエンジンの後方に配置し、機首上面のインテークから機体下面の排気口に向けて空気が流れるようになっている。ダクトに収まりきらないオイルクーラはラジエータの排気口付近の機体下面に装甲シャッター付きで取り付けられている。詳細な配置図や変遷は『世界の傑作機 Il-2 シュトルモビク』に詳しい。

 一方、Il-10ではラジエータ、オイルクーラのどちらも機体の内部に収納されており、主翼付け根のインテークから導かれた空気は熱交換された後に機体下面に排出される。右翼のインテークはラジエータへ、左翼のインテークは半分だけオイルクーラへ流れる。写真からフィン式の熱交換器が使用されていることがわかる。構造や写真についてはhttps://massimotessitori.altervista.org/sovietwarplanes/pages/il10/details/engine/engine.htmに詳しい。

 

 

・Su-1 (1940), Su-3 (1941)

 機体下部にラジエータ用のインテークがあるが、ラジエータは操縦席の後方に置かれており、排気口はコクピットの後方、機体の上面にある。Il-2とは逆に下から上に向けて流れる構造になっているが、その理由はわからない。

 

 

 

 以上を方式ごとに大雑把にまとめると、

機首前面(1910-20年代) → 引込式冷却器の採用 (1920年代末-30年代中頃) → 拡散式ダクトの採用(1940年~) → 主翼付け根や翼内への熱交換器の移設 (1943年以降) という大まかな流れが見えてくる。翼面蒸気冷却やエチレングリコールの使用は1930年代中頃のようだ。

 P-51で有名な境界層排除については、La-7の胴体下のオイルクーラがそれらしい形状をしているほかは見られない。La-7のそれにしても、La-9以降では機首のカウリング下面に移動されている。

 特徴を挙げるとすれば、戦前の機体で引込式冷却器が多用されていることと、戦中の機体で翼内(翼付け根も含む)にインテークを設けることが多い点だろうか。

 

-----(2019/11/10追記) -----

 また翼内にラジエータを搭載する方法についても、イギリスのモスキートやシーフューリーでは主翼前縁のインテークの直後にラジエータを置いて主翼下面に排気しているが、ソ連機では多くの機体でラジエータの位置を主翼の翼弦中央付近に置き、主翼上面に排気している。この方法なら主翼前縁直後にある脚庫にラジエータの設置スペースを左右されずに済むが、一方で脚庫を避けてダクトを通す必要があるし、主翼の内容積も有効活用(燃料タンク搭載など)が難しくなりそうだ。

  脚庫との干渉は単発機ならではの問題で、双発機では脚庫をエンジンナセルと一体化しているためこのような問題はなさそうだ。また双発機ではエンジンナセルの左右にインテークを設けるスペースがあるが、単発機ではそうもいかないため設置スペースが限られるし、加えて翼厚が小さければインテークを横に広げる必要もあるだろう。双発機に比べて十分なスペースが確保しづらい条件が揃っているように思う。

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以降のためのメモ

・熱交換器の本体の形状(ハニカムチューブ式やフィン式など)については文献であまり触れられていないのが気になった。型番もごく稀にしか言及されない。調べられる範囲で調べたい。

・図を描いた方がわかりやすそう

エチレングリコールは40年代に入っても使用されているか。

・冷却システム全体の構造はマニュアルに記載されているので、それも読んでみたい。

・基本的な原理から熱交換器の取付方法の良し悪しを評価してみたい。

*1:Yefim Gordon “Mikoyan’s Piston Engined Fighters” pp.73-83