【書評】Mikhail Maslov, “Vakhmistrov’s circus: Zveno Combained Aircraft - The Projects, Development, Testing and Combat”

Mikhail Maslov, “Vakhmistrov’s circus: Zveno Combained Aircraft - The Projects, Development, Testing and Combat”, Helion & Company, 2016

 

2018/06/04 追記 

 

・本書について

 本書は1930年代にソ連で研究されていたZveno計画のモノグラフである。この計画の概略を説明すると、大型爆撃機に小型戦闘機を搭載して離陸し、戦場上空で切り離すことで小型戦闘機の短い航続距離を伸ばしたり、あるいは子機に単体では離陸できないほどの爆弾を搭載して、より精度の高い爆撃を行うなどを目的としている。(なお、先に挙げた目的は主要なもので、本書の中で語られるZveno計画の目的や副次的効果は非常に多岐にわたる。)

 題名となっている”Vakhmistrov’s Circus”というのはこの計画につけられたあだ名で、この計画の最大の特徴である外見の珍妙さがよく表されている。

 

 著者のMikhail Maslovは技術者であり、モスクワ航空大学を卒業後、ツポレフ設計局とTsAGIで勤務していたという。本国では戦前のソ連航空機を中心に多数の著作があり、また英語でも ”Polikarpov I-15, I-16 and I-153 Aces” (Osprey Publishing, 2010)や、”Tupolev SB - Soviet High Speed Bomber” (Icarus Aviation Press, 2004)などの著作がある。

 

・内容について

 本書が主に扱うのは一連のZveno計画の発端からその最期に至るまでであり、個別の計画、つまり最初に試験されたZveno-1から最後のZveno-SPBまでの各計画に対して、独立した章が設けられている。内容はそれぞれ計画の推移と仕様、試験の様子と結果、その後の顛末などに焦点があてられており、Vakhmistrov本人を含めた当事者たちの回想も引用されている。上記に加えて、唯一”量産”された (たった5組だけではあるが) Zveno-SPBには生産と実戦について、また計画のみに終わったZveno専用機、そしてZveno計画のチーフエンジニアだったVakhmistrovの経歴と、彼の考案した別の秘密兵器「Parachute-Cable Canon」についても文章が割かれている。文章の筆致は記録をもとにしたと思われる手堅いもので、著者の私見が挟まれることはない。*1

 また、写真と図面が計画ごとに多数収録されており、本書の全150ページのうちそれらの割合が半分以上を占めている。よく知られている合体時の写真はもちろん、親機と子機をつなぐ固定具をはじめとした様々な追加装備の写真や図面によって、文章だけではわからない細部を十分に知ることができる。

  

 とても真面目な本なのだが、そこから読み取れる内容は非常に面白い。なにせZveno計画はその着想から計画中止まで10年もの期間に渡って続けられていたこともあり、非常に多くの側面があるのだ。当時の航空機が運用開始から3年ほどで時代遅れになることを思えばその特異さがわかるだろう。それはつまり計画の途中で使用機体が時代遅れになってしまっていたことも示しているのだが。

 

 この本で語られていないことを挙げるとすれば、1つ気になるのはこの計画に対する当時の評価についてだろうか。Zveno-SPBの実戦について1つ紹介されている程度であり、当時の評価についてあまり触れられていない。

 また、本書はVakhmistrovを中心にしているためか、Zvenoと同様にTB-3の翼下に航空機を搭載するニキーチンのPSNプロジェクトについては触れられていない。

 

 

(2018/06/04追記)

 Zveno計画については、まず何より興味を引くのはその外見だろう。 大型爆撃機の上に小型戦闘機を搭載している様子はそれだけで奇妙な面白さをもつ。この形態はそもそも、発案者のVakhmistrovが航空機の主翼に搭載する曳航標的の試験をしているときに着想を得たものだという。小型の曳航標的なら搭載も手間ではないだろうが、人間が乗るサイズの飛行機で同じことをするのだからその手間は大変なもので、例えば主翼の上に子機を持ち上げるために、主翼の後縁まで至るスロープを作り、そこを作業員が押すなり縄で引くなりして1トンを有に超える重量の航空機を持ち上げる必要がある。ピラミッドの建設風景を彷彿とさせる光景だ。しかもこの際、エンジンはあらかじめ地上で始動しておかなくてはならない。Zveno-2では飛行前点検に6時間もかかったという。

 また、主翼の上に子機を乗せるという本来の用途から離れたことをするのだから、もちろんあらためて強度計算が必要になる。これはVakhmisrovの所属するVVS NIIだけでなく、TsAGIの専門家の助力を必要とし、更にTsAGIに実験用の機体を貸し出したというから非常に大掛かりだ。Zvenoの親機はこの結果をもとに主翼と主脚の構造が補強されているおり、見た目ほど単純なものではないことが察せられる。

 完成したZvenoは実験を繰り返し、航続距離の延長や離陸重量の増加なども含めて成功を収める。また子機搭載の手間を減らすため、そのころ次第に現れつつあった単葉機を翼下に搭載する方法も試験されていたりするのだが、そうこうしているうちに親機のTB-1は時代遅れになってしまう。次に白羽の矢が立てられたのは後継機のTB-3で、こちらでも実験が重ねられるのだが、そのうち子機として使われていた戦闘機I-5が時代遅れになり、また親機のTB-3も新型でより小型の(つまり親機になり得ない)高速爆撃機SBの登場により時代遅れになってしまう。更にはこの計画を支援していたトハチェフスキーが粛清され、その空気の中でZveno計画は勢いを失う。その後、最終型のZveno-SPBは「量産」が決定されるものの、それも容易ではなく生産数はごく僅かにとどまっている。VakhmistrovはTB-3の後継爆撃機Pe-8によるZvenoを訴えていたが、最後は大戦が近づく中で計画中止となった。

 とはいえ、1930年代の後半になると計画は相当な洗練を見せていた。機体の搭載に必要な時間は10~35分までに短縮されたし、また初期には無線を搭載しておらず子機との通信は手振りで行うしかなかったため、合計4機の子機を抱えて離陸するAviamaatka PVOでは離陸の際に子機が出力調整を誤って文字通り右往左往しながら離陸することもあったが、最後期のZveno-SPBでは親機と子機はインターカムにより音声通信が可能になり、また親機からの分離発進許可や出力増減の指示を示す警告灯も子機の近くに取り付けられた。これは更に、敵機の方向(左右、上下など)を示すこともできたという。ここまでくれば立派な空中空母だ。

 本書によりZveno計画は単なる色物ではなく、十分に研究された大掛かりなプロジェクトであったことがわかるし、また当時の情勢の変化を反映した計画の姿から、逆に当時の情勢を感じることもできるだろう。航空機の短命な時代にあって、同じプロジェクトが10年近く続けられたことなど殆ど無いはずだ。加えて、Vakhmistrovの奇抜ながら効果的にも思えてしまう発想の数々はまるでSFを読んでいるようだし、本書全体を通じて見れば、彼の栄枯盛衰の物語として読むこともできる。もちろん、単純にこの計画の写真を眺めるだけでも楽しいものだ。

 興味がある方はぜひ手にとってほしい。

 

*1:ただし、出典は全く記載されていないが